2018年5月31日木曜日

睡眠主義について(vol.3にむけて)

「睡眠主義」(?)について


ひそかに、ささやきを交わすように、私たちの「ねむり」について語りはじめようとおもいます。vol.3のテーマを「睡眠主義/Sleep-ism」となづけました。睡眠、と、イズム?

バージニア・ウルフは、女性が作家になるためには〈五百ポンドの年収〉と〈自分一人の部屋〉が必要だ。といいました。女性が個室を持てなかった時代ですからウルフは女性に限定した話をしていますが、これは当然、一般的になにか書きものをするためには性を問わず独りぼっちになれる場所が必要だということになります。

いま、社会のなかで、私たちにとっての〈自分一人の部屋〉はどこにあるのでしょう。カラオケ? トイレ? ヘッドホンの中でしょうか?
個人的ないとなみが可能になるためには、無駄がなくてはいけないのだと思います。カラオケも、トイレも、ヘッドホンも、それは用途の限定された「〜のため」に用意された場所であり、〈すること〉に満ちています。そこでは歌い、漫画を読むことはできても、ぼんやりと窓の外をみること、愛の感情をいだくこと、宇宙や世界についてゆめをめぐらせることは困難です。

それでも夢は、ねむりは——私にとっての〈自分一人の部屋〉であったし、これからもありつづけます。〈すること〉への私的な抵抗として、〈しないこと〉としてのねむりを、そぐわなさを顧みず「主義」として試みに打ち出してみることにしました。

ねむり——そこは誰にも奪われてはならないはずの領域ですが、現代の生活において睡眠は、例えば仕事に奪われます。不安に奪われます。漠然とした「眠れなさ」もありますし、いつまでも起きていようとする欲望に身を委ねることもあります。別の観点では、今後もし子育てをすることになれば愛おしい子どもに睡眠を奪われるということもあり得るでしょう(チェーホフは「ねむい」という短篇を残しました)。

眠れなくてもいい、しかしわたしには「ねむり」へのけんりがあるということ。それが、ひょっとしたら〈すること〉の社会のなかで、〈しない〉ための勇気をくれるかもしれません。
すべての寝坊と、寝ぐせと、うたた寝のための〈睡眠主義〉を。
***

vol.3は今秋刊行を目指します。現在、原稿執筆中です。

This is an announcement for the vol.3.
Issue for the vol.3 will be called: "Sleep-ism."

2018年5月11日金曜日

「ゆめみるけんり」正誤表

「ゆめみるけんり」の正誤表です。
誤りが見つかり次第、この記事を更新していきます。

vol.1



vol.2

・p.51:誤「パーシャ[フロレンスキー]の」→正「ぼくらの」
(参照した版の誤植を見過ごしていました。改めて底本としたФлоренский П.А. Сочинения в 4-х томах. М.:Мысль, 1994-1999. Т.4を確認したところ、当該箇所は паши→нашиでした。)

2018年2月26日月曜日

【イベントレポート】Language Beyond(第2回)

杉並区善福寺のスペース「あなたの公-差-転」でブッククラブ「Language Beyond」を隔月開催しています。

第二回は2月4日に開催し、以下の2冊(3篇)をめぐっておしゃべりしました。

・プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』
・コルタサル「悪魔の涎」「南部高速道路」

レポートはこちらです。
http://kosaten.org/ja/lbreport2/


◆第三回は、4月22日(日)に行う予定です。
16:30スタート、参加費は無料です。
今回読む本は:
+宇野千代『おはん』(新潮文庫・中公文庫)
+石牟礼道子『あやとりの記』(福音館文庫)
以上2冊です。

このブッククラブでは一つだけの「正しい読み方」を探るのではなく、「参加者のみなさん一人ひとりがどう読んだのか」ということを大切にしています。
詳しくはこちらから↓
http://kosaten.org/ja/event/language-beyond3/
https://www.facebook.com/events/700803603642422/

*あなたの公-差-転:http://kosaten.org/

新しく参加してくださる方をお待ちしています。


2018年2月12日月曜日

【終了】Book Loversに出展します

【終了しました】

東京・初台のMOTOYA Book Café Galleryで開かれる、“本好きの人が、本好きの人のために作るブックイベント”「Book Lovers」に、ゆめみるけんりが出展します。
「ゆめみるけんり vol.2」を展示し、vol.1とvol.2を販売します(少部数の予定)。




Book Lovers

2018年3月7日(水)~4月1日(日) ※月曜・火曜 お休み
13:00~20:00 ※入場は閉館の30分前まで

※3/17(土)、3/18(日)は17時から
※最終日は17時まで
※ドリンクのオーダーをお願いします。

詳細→http://www.mo-to-ya.com/gallery/exhibition/1803.html


アクセス→http://www.mo-to-ya.com/access/
初台駅(京王新線)から徒歩8分
代々木八幡駅(小田急線)・代々木公園駅(千代田線)から徒歩10分

「ゆめみるけんり」vol.2

表紙デザイン:つぐみ
Cover designed by Tsugumi

「ゆめみるけんり」vol.2(2018年1月発売)
特集「わたしと、はたらくこと」

コンテンツ:今号の目次。
メンバーズ:今号に参加した人たち。

・電子書籍版:Kindle Storeにて販売中です。300円。電子書籍版限定コンテンツもあります。
・紙版:2018年1月刊行。1000円。いくつかの書店で扱っていただいています。
取り扱い書店さんにつきましては【入手方法】のページをご覧ください。

Our zine "yumemirukenri 02" is now on sale. The issue is: I, Working.
E-book can be purchased on Amazon's Kindle Store for approx. $3.00.
Also, printed ver. is available. See the page "How to purchase?" .

2018年2月11日日曜日

zineってなんだ

ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社)を読んで、「これはzineだ」と思いました。

「ゆめみるけんり」を出すにあたって同人誌と言うのがなんだかダサいので、格好つけてzineと呼んでみたのですが、それでは「zineってなに?」と聞かれると、自分がなに一つわかっていないということが明らかになってしまいます。zineってなんでしょう。

自分で「ゆめみるけんり」というzineをスタートさせる前後に、数冊のzineとの出会いがありました。その中でも愛おしく感じているものが、中里仁美さんの発行するzine『善き門外漢』です。「パーソナルかつエモーショナル」を掲げるこの小さな本は、コンテンツも読ませるもの揃いで、いろいろな人に読んでもらいたいなあと思うのですが、中里さんの考え方に共感できるところが多かったので、その辺についてすこし書きたいと思います。

「パーソナルかつエモーショナル」ということ。

英語で「Have your say.(ご意見募集)」という言い方がありますが、出版社を通じて本を出すことには、「I have my say.」というニュアンスを感じます。日本語では「世に問う」とよく言いますが、そんな感じも込みで。「言いたいこと」が確固としてあり、それを著者である「おれ」の責任のもとで世に出すという感じがします。

そうして広く世に問われた本には並ならぬ覚悟があり、ゆえに読み応えのあるものになります。そういう出版物に価値を感じることは当然のことですが、ただ、それだけじゃないだろうとは思います。

「言いたいこと」になりきらない「感じ」とか、「空気」とか、「変」とか、「愛」とか。それは、わたしの考えでは、ひじょうに個人的なものだし、感覚的なものです。社会生活のなかでは、そうした個人的な感覚の行き場所はなかなかありません。zineは、そうした「個人的かつ感覚(感情)的」=「パーソナルかつエモーショナル」なものの受け皿としてあるのではなかったでしょうか。

「でも、SNSやwebメディアがzineの役割を果たし得るんじゃないですか?」わたしはそうは思いません。というのは、自分でつくってみて感じたことですが、zineを印刷し、出版することには、SNSにはない重みと時差があるからです。SNSでは思いついたことをすぐに全世界にむけて発表することができます(その自覚があるかないかはわかりません)。しかしzineをつくるには、企画し、原稿を集め、判型を決め、デザインを決め、お金をかけて印刷をし、書店に持って行き……というさまざまな大変さがついてきます。出版社から出版するほどの覚悟はいりませんが、自分の出版するものに何万かのお金を費やすとき、また書店に持ち込みをするときに、「おまえはそれをするだけの覚悟があるのか?」「それに見合うだけの中身があるのか?」という声を内側で聞きます。また、こうしたプロセスを経ることで、zineの出版にはかならず時差が生じます。すこしずつ遅れて届くということです。これは、即(時)レス(ポンス)を求められることの多くなったいま、zineをつくることで気づくことができた、大切にしたい時間の流れ方です。

『善き門外漢』がすごいのは、たった一人のひとの「パーソナルかつエモーショナル」なものを表現する、それだけでもう(現在のところ)3冊も本を出してしまえるのだ、という事実ではないでしょうか。もちろん中里さんという個人のおもしろさ、ふかさも大きく関係しているのですが、ここには大きな勇気をもらいます。ほんとうは人はこんなに言いたいこと(でもふだんは「感じ」に留まっているようなこと)がたくさんあり、もしかしたら誰だって本の一冊や二冊出せるくらいのなにか、「感じ」を抱えているのかもしれません。

ウルフは頭のいい女性ですから、『自分ひとりの部屋』を書いても(悪い意味で言われる)「感情的」にはなりませんでしたが、それでもやはりこの本はとても個人的な感覚から成り立っているようにおもいます。そして(すぐれた訳文も手伝って)そうした感覚の表出(それは「論」とか「言明」未満です)は、とても心地よく、それでいて強く、こころに染み込むように馴染むもので、「なんて魅力的な文章なんだろう」と、読んでいる最中に何度も感嘆してしまいました。これもやはり、1929年当時のzineなのだとわたしは感じました。

それから昨日コ本やさんでおしゃべりをしながら気づいたのですが、zineを出すということは、たぶんそのzineを買ってくれる人もいるということです。一般に出版社から出されている本であれば、手にとって購入し読む契機・要因ってとてもたくさんあると思います。新聞広告を読んだ、人から聞いた、twitterでみた、著者の名前を知っていた、、、。一方でzineとの出会いは、おそらく書店店頭で起こるのがほとんどではないでしょうか。zineを手に取り購入する行為は、ほとんど読者個人の興味と関心にのみ裏打ちされています。一冊のzineを介して、宣伝に踊らされる以前の生身の人間と人間がコミュニケートすることになる。そうわたしは思いました。デリダを引き合いに出すまでもなく、ひとが「語る」ためには、絶対に「2人以上必要」なのです。

そんなわけでzineというメディアには、なかなか真顔で真剣に語り合えないわたしたちが、個人的で感覚的なものを通してコミュニケートする一つの「場」であるとも言えるかもしれません。

大学を卒業して以来、「ここではない場所」「仕事と家のあいだの場所」ということを個人的に考え続けているのですが、zineがひとつの回答になるかもしれない、実際にどこかの住所に場所をもつということにこだわらなくてもいいのかもしれない、と考えました。

そういう話でした。

*ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』:http://www.heibonsha.co.jp/book/b201163.html
*『善き門外漢』:http://yokimongaikan.com
*ジャック・デリダ『名を救う』:http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624932534

(工藤杳)

2018年2月10日土曜日

値段をつけるということ

値段をつけるということについて、工藤がツイートしたことから再構成してみます。

価格を設定するという仕事は勉強になります。

「ゆめみるけんり」は、最初300円〜のカンパ制(文フリなど)、その後500円(書店さん扱い時)になり、第二版では800円の値段をつけました。節操がない、一貫性がないと言われればそうなのですが、今の価格で原価ギリギリくらいで、そのまえは売れるたびに赤字でした。今買うひとと昔買ってくれた人とのあいだに差ができてしまうことについては申し訳なくおもいます。

それぞれの時点で、それなりに考えていたことがあります。カンパ制にしてた頃ははじめてでしたし、自信が全くなかったのでいくらくらいなら買ってくれるのかという実験も兼ねてカンパ制という形にしました。意外と買ってくれる人がいたこと、それから書店さんに適正な価格をつけるようアドバイスをもらったことなどを受けて、当時の我々としては思い切って500円で書店で扱ってもらいました。

今回800円という価格を設定したのは、普通に原価分はかかっているわけだからそのくらいは請求する正当な“けんり”があると、ごく当たり前のことを考えたからです。(それでもプラマイほぼゼロです。だって利益出るとめんどくさいので。)

(それで、今のところメンバーから3千円ずつ集めて出版費用としています。これ以上負担額は上げたくないとは思っていますが、まあ飲み会一回分と考えれば……となんとか納得してもらえるとはおもいますが。)

書店さんにも励ましてもらい、またvol.1の売り上げもそこそこあって自信も出てきたというのもひじょうに大きいです。扱ってくださる書店さんや、買ってくれるみなさま、本当にありがとうございます。

値段をつけることを通して、いままで実感が持てなかった「資本主義」というものとじかに触れ合っているような感覚があります。

(工藤杳)