私たちは、忘日舎の伊藤さんにご紹介を受けてはじめてお互いの存在を知り、イベントの1ヶ月前に初対面、なんとな〜く似た雰囲気を感じるな…というところから、今回さっそく忘日舎さんでイベントをさせてもらうことになりました。
お互いの熱意が爆発し、主催の私たちにとっても大変刺激になる会でしたし、事後アンケートでもたくさんの嬉しい感想をいただきました。当日ご参加いただいた方、また興味はあったけれど参加はできなかった方、密かに応援してくださっている方…みなさまに感謝を申し上げたいです。ありがとうございます。
当日は20名ほどの方にお越しいただきましたが、お伺いしたところ、「て、わた し」を知っている人も、「ゆめみるけんり」を知ってる人もそれなりにいらっしゃって、びっくりしました。雑誌をつくっていても、実際に買ってくれる方の顔を見ることはないので、嬉しい驚きでした!
それでは、当日のトーク内容を簡単にまとめて、ご紹介します!
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ゆめをてわたす vol.1
3月23日(土)15時〜17時@忘日舎(https://www.vojitsusha.com)出演者:山口勲(て、わた し)、工藤順・藤田瑞都(ゆめみるけんり)
*「て、わた し」:http://tewatashibooks.com
◯「ゆめみるけんり」のつくり方
(工藤)- 「ゆめみるけんり」は、2016年冬にスタート。①社会に出た後に、文学とのつながりを保ち続ける方法+②大学で出会った友人と別れない方法を考え、zineをつくることに。「ゆめみるけんり」は、バシュラールの言葉。「ゆめ」とは詩とか、文学のこと。社会のなかで「ゆめ」を守っていくための実践としてのzine。
- メンバーはその時々変わるが、だいたい10人前後のメンバー。ピンと来るテーマを選び、「まえがき」を書いて、みんなに投げる。リアクションとして色々な作品が来る(翻訳や創作)。
- DIYを大切にしている。InDesign講座に通って学んだり。
- ぼく自身の詩との出会いについて。詩の本だと初めて自覚して買った本は『パウル・ツェラン詩文集』(飯吉光夫訳、白水社、2012)。ユダヤ人の痛みからスタートして書いた詩人。2012年に発行され、2011年の震災の後に詩は可能か?という問題意識から刊行されたように思う。後から思い返してみると、人間がどうしようもできない巨大な現実の前で、詩でも何かしらできるんだ、と実感させてくれたのがこの詩集かもしれない。詩は日常と全然違う、超越したものだが、現実に対して何らかの力を持つし、詩にしかできないこともたくさんあると気付かされた。
- 社会人でありつつ、書くこと。文学は自分では重要なのだけれど、会社で詩の話をすることができない。詩の言葉は、自分の会社ではふさわしくないと感じる。でも、仕事と書くことを一つの延長線上に置きたいと考えている。zineで何か発表することを単純に楽しんでいる。
◯「て、わた し」のつくり方
(山口)- 小学生の頃から詩を書いていた。大学3年でポエトリーリーディングに出会う。詩の朗読会やワークショップの企画。自分でも朗読したり、ラッパーとバトルしたり、詩を投稿したり。詩の世界で幅広く活動しています。詩と短歌、俳句のジャンルを交えていく詩歌梁山泊のWEBマガジン「詩客」(http://shiika.sakura.ne.jp)の立ち上げを手伝ったりもしました。
- 2008年、ワークショップについて下調べする中で海外の詩と出会い、自分で翻訳した難民の詩などをブログで公開しはじめる。そんな中、イギリスの詩人Warsan Shireが、ビヨンセのアルバム“Lemonade”で大きく取り上げられる。日本でもちゃんと紹介されるんじゃないか?と期待していたところ、誰もやらず→じゃあ自分でやろう。
- 海外の「詩」は紹介が少なく、どんな方法がいいか考えた結果、日本の詩と海外の詩とを組み合わせてみることに。翻訳したい詩人は、海外でも人気が出てきつつある詩人、80〜90年代に生まれた同世代の詩人たちで、第一線で活躍し始めている詩人。そこに、日本の同世代詩人をぶつけてみる。1号は「女性詩人」特集で、LGBTの詩人ともからめつつ6人取り上げて紹介しました。生きづらさを超えて、生きてゆくために必要な詩はあるということ、これを繰り返し伝えたい。
- 作品や訳者の探し方。①アメリカにはウェブマガジンの文化があって、300種類くらいのウェブマガジンがある。Sundress出版社の“Best of the Net”という毎年の特集でマガジンを探したり、気に入った書き手を拾っていく。②Lambda Literary FoundationのLammy賞(LGBT文学賞)、レズビアン、ゲイ等それぞれのセクションでポエトリー、フィクション、ミステリー等のジャンルがある。③「poetry」でフィード登録しておいて、飛び込んでくるニュースを読む。④昨年出版された「ヒロインズ」から、広がりもあった。英語以外の言語については、空き時間に論文検索サイトで探し、大学にメールで問い合わせて、交渉したり。
- 装幀は浩子さん。2、3号から2人のイラストレータの方からも協力。
◯「生きづらさ」ということ
- (工藤)山口さんは「生きづらさを超えるための詩」と言っていたが、「ゆめみるけんり」も個人的なところから(通勤電車、会社の苦しさ)ではあるが、生きづらさの感覚を共有していると思う。
- (藤田)研究者になるという選択肢もあったかもしれないが、会社に入ることを選び、毎日暮らしていく。そうすると、結果として自分の中で文学・詩の領域が小さくなっていった。「ゆめみるけんり」では、おそらくみんなそういう感覚を共有している。それでも詩の領域を守っていきたいと思う。それがzineの始まりだった。
- (山口)日常生活が、やりたくないことに侵食されていく感覚ですね。その中で、今までやっていたことを守っていくこと。もっと単純な話で言えば、ぼくら(山口さん・工藤)は身長180センチくらいある。日々電車に乗って感じる「生きづらさ」がある。電車での呼吸のしづらさとか。
- (工藤)つり革が頭に当たるとか。銀座線が狭いよね、とか。些細なところから生まれるのが生きづらさ。
◯ぼくらにとって翻訳は
- (山口)2016年11月に「て、わた し」を創刊。その前から構想自体はあったが、同人誌のつくり方がわからないし、ガツンと来るコンセプトを自分一人ではつくれる自信もなかった。自分が書く詩では嘘をつけないから、自分自身をブランディングすることって難しい。それなら、今は翻訳をメインにして、海外の詩人も日本の詩人も紹介する媒体を、と考えてつくったのが「て、わた し」。
- (工藤)「ゆめみるけんり」のきっかけの一つに、研究者が詩を翻訳しても発表できる媒体がないということがある。大学では、周りにいろいろな言語をやってる人がいて、翻訳をしている人もそれなりにいたが、発表の糸口がつかめない。それなら自分で発表できるための媒体をつくろうと思った。
- (藤田)翻訳との出会いについて考えると、卒論で引用した多和田葉子さんの言葉が思い浮かぶ。「この世界のほとんどの言葉はまだ翻訳されていないか、誤訳されているかのどちらかだ」(『エクソフォニー』)。私たちは日本語で話しているが、100%意思疎通できてはいない。言葉という記号を使うことは、翻訳的な行為。翻訳的行為は、一人ではできず、他者が必要。他者とのやりとりの中で、ことばが新しい意味・使い方を産んでいくという確信がある。
- (工藤)誠実に向き合うほどに、翻訳なんて不可能だという考えに陥ることはよくある。海外の伝統的な詩は、形式的に韻律があり、韻律(リズム)と内容とが相まって作品をなす。そのまま日本語にもってくることは絶対できない。ある時はリズムを重視した翻訳、内容を重視した翻訳、韻文を散文にしたり、散文を韻文にしたり。それぞれは一回ずつの試みに過ぎず、一つの正解はない。翻訳はできないと思う一方、できなくていいんだという考えでやっている。その時なりに、著者が誠実にテキストに向き合った結果が「ゆめみるけんり」のテクスト。
- (山口)リズムと意味が、詩のすべてだと思います。自分はこう見てるということを提示するため、誤読するためにやっている。ずっと詩を書き、朗読をやってきた中で、翻訳と出会った。翻訳で良いことは、自分が使ったことのない言葉を使うことができること。リズムの問題で、意味は同じでも音が違う言葉を選んだり、自分では使わない四字熟語を使わなきゃいけなくなったり。時には俗語や汚い言葉も使わなきゃいけない。こうやって、自分の使える言葉が広がっていく。詩作とは別に考えているが、使える武器が増え、自由な気がしてくる。
◯朗読の時間
- (藤田)吉田加南子さんのテクストを読みます。「ゆめみるけんり」4号の特集は「手紙」。私は吉田さんに大変影響されていて、詩に対して考えていることは、だいたいこの人が言っていると感じます。今から読む詩は、吉田さんに衝撃を与えた詩。人が何かを書く時、書く私というのは自分がイメージする自分ではなく、たくさんの私以前の人たち(過去の詩人や存在しない人たち)、つまり「不在の世界」が反映された存在となっている。書くことによって、自分の中にいる他者が見つけられる(「ほどかれていく」)。書かれた言葉は、不在の世界からの合図、それは「流れ星」である。「手紙」というテーマのイメージは、不在の世界からの「合図」に対して返事をしていくということ。そして、これからも返事をしていきたいという思いがある【朗読:デュブーシェ「流れ星」+吉田加南子さんの解説(『フランス詩のひととき』より)】
- (工藤)配布したzineの「翻訳のためのエクササイズ」から朗読します。これは、ライナー・マリア・リルケの詩のドイツ語原文と、そのパステルナークによるロシア語訳を、それぞれ工藤が訳したものです。翻訳は本質的には無理だ、ということを実作として経験した翻訳の作業であり、参照点。このテクストたちは、翻訳によって関係性を持っているが、ここに生まれた日本語はいったい誰の詩?と考えること。参考になる試みとして、vol.3に載せた藤澤大智くんによるイタリア詩の翻訳は、押韻箇所の母音を揃えて翻訳しているとのこと。【朗読:リルケの詩»Der Lesende«(本を読む人)のパステルナークによるロシア語翻訳«За книгой»(本に向いて)をロシア語で。】
- (山口)これが詩だなと思う詩を読みます。自分が思っているものと人が見ていたものが浮かび上がり、結びついて、また新しい自分・言葉が浮かぶ。生き様を写し取った作品と生きていることそのもの、生きていることそのものとその記憶は固く結びついていて、どちらももう一方に変わり得る。詩を読んでいると、ときどきそういう奇跡のような詩に出会うし、自分もそういう詩を書きたい。紹介できる場がどんどん増えればいいと思い、「て、わた し」をやっています。【朗読:エリザベス・ビショップ「詩」(山口さんの翻訳)】
◯「サミズダート」、広げること、アマチュアであること
- (工藤)「ゆめみるけんり」は、書店で売ることに意味があると思っている。いろんなところに間違って配達されてほしい。消費者的な態度が嫌いなんです。「欲しい→ポチる→到着」では、単調で面白くない。好きな本屋さんに並べてもらい、本屋が好きな人がふらっと買ってくれるのが嬉しい。反時代的、アナログではあるが、そうじゃなければ出会えない人はいて、それがぼくらには大切。入手しにくいとは思うが、わざとしている部分もあり、広げれば広げるほどいいものでもないと思う。届けたい人がいる。潜在的に届いてほしい人もいる。その距離で、その誰かに届けばいい。
- (藤田)「地下出版」的な気持ちを持ってやっています。草の根、アマチュア感を大切に。
- (工藤)「zine」という言葉はロシア語で通りが良くなく、ロシアの友人には「サミズダート(самиздат;ソ連時代の地下出版のこと)」をやっていると説明することがあり、そうすると政治的なニュアンスが加わるが、それはそれで面白い。国によって、自費出版についてのイメージはいろいろある。「て、わた し」は、アメリカの由緒正しいzine文化に目配せをした、明るい雰囲気を感じる。「ゆめみるけんり」の発想は、ソ連の強制収容所あたりからスタートしているので、根暗かもしれない。「反逆したい」「対抗したい」、反抗心が常にあると思う。アマチュア感という話で言えば、プロの人にお願いすることも考えられるが、極力自分たちの手でできることは全部やろうと思っている。自分のできることが広がり、楽しい。
- (山口)サミズダートという言葉がメジャーになってほしいね。かっこいい。自分の場合、反体制というより、オルタナティヴ的なものが近い。当然排除はしないけれど、周縁的(マージナル)なものに親和性がある。マージナルなものとは、体制でも反体制でもなく、ただ生きているところが好き、みたいなところ。とりあえず生きていくこと。
◯本屋さんについて
- (工藤)売り込むとき、最初はすごく緊張した。でも売り込みに行くと、本屋さんも興味を持ち、深い話ができることが多い。本屋さんの違う顔を見れるのも楽しい。新しい読者にも出会える。
- (山口)楽しいけれど、最初はすごく緊張する。本屋さんは話やすい感じがない。忘日舎の伊藤さんは伊藤さんの目線からアドバイスをくれ、ためになります。本についてもっと知ることができて嬉しくなる。
- (藤田)名刺代わりで「ゆめみるけんり」を持って行ける。その結果面白いことがいろいろ起きて、例えば平井の本棚(https://hirai-shelf.tokyo)という本屋で店番をやることになった。店番をやって、お客さんが求めることなども見えてきた。同人誌をきっかけに、ちょっとずつ自分の生活が変わってきていて、それが楽しい。
◯お金の話
- (工藤)zineにいくらをつける?という問題がある。最初は300円からの投げ銭にしてたが、印刷に800円かかっていたので、売れるたびに赤字だった。今は考えを変え、かかった分のお金は請求してもいいよな、と考えている。資本主義が良いとは思っていないが、その枠組みの中で消費財を作って売るという経験、自分のつくるものに対して値段をどうつけるか、いくらなら買ってもらえるのかと考え、勉強になる。
- (山口)本屋さんの値付けは、高めにつけてくれて嬉しい。安すぎると手に取ってくれないこともある。自分たちが何者かは自分でもわからない。
- (藤田)水中書店さんから、継続可能な値段についてアドバイスをもらった。当初念頭にあったのは、東海晃久さん(ロシア文学翻訳家)の試み。kindleで販売している本(例えば『殺字者倶楽部』)が、当初300円くらいで設定されていて、その態度がかっこいいので、真似してみた。zineを出すにあたって、安すぎると良くないというのは、始めてから分かったこと。
- (工藤)「ゆめみるけんり」のkindle版は300円にしている。電子書籍を出したのは、勉強の一環で、スキルを身につけたかったから。やってみたら、案外なにもできない。kindleは基本的にはベタ打ちのテキストで、自分たちでコントロールできる部分が少ない。端末次第で変わってしまい、自分たちで製作してるという感覚はあまりなく、クオリティが保証できない。なので紙版より安くしている。テキストが読めればいいという人向け。
◯サイズについて
- (山口)浩子さんがもともとデザイナーで、転職をする頃に「て、わた し」をはじめた。本人的にも、トータルでアートディレクションをやりたいという気持ちがあった。出版物になったのは偶然で、もしかしたら立体になっていたかもしれない。「ゆめみるけんり」の判型はどうやって決めた?
- (工藤)1号を始める時に会議し、本棚から好きな本を並べてみた。A4はちょっと鈍くさいなとか、A版やB版みたいな枠にはまりたくないと思ったかもしれない。それで、正方形か、新書サイズかに絞った。新書サイズは出版社によって違っていて、それも面白い。
- (藤田)cuon(http://www.cuon.jp)の本や土曜社(https://www.doyosha.com)のマヤコフスキー叢書など、軽いソフトな本が好き。ポケットに入るサイズが大事。
- (工藤)満員電車のなかで、ナイフを忍ばせるように、詩の本を忍ばせる。
- (山口)サイズにもっと気を使えば良かったな、と思っている。将来的にはもっと考えたい。
◯これからの話
- (工藤)翻訳は、研究者の実績にならない。だから後手に回ってしまい、ロシア研究では、海外のロシア研究ではスタンダードになっている文献が日本語になっていないことがある。日本では、研究者の立場自体が危うい。明日の生活もわからない時に、翻訳なんてできないという状況がここ数年あると思う。翻訳の体力もない、媒体もない。それを考えた時に、「ゆめみるけんり」を超えた未来の話として、若い、博士論文を発表する前の研究者に書いてもらい、ライトな翻訳シリーズを出せないか?と考えている。今までそういうのはなさそう。今は、出版社でなくても手軽にスタートできる。原稿さえ集まれば誰でもつくれる。色々なやり方がある。アカデミズムでは思いつけないことを、こちらから提案する。文化を生き延びさせていくための方策を探りたい。そのための実験の一つとしての「ゆめみるけんり」。これからどうなるか分からないが、研究者にとっても、文化にとっても、利益をもたらせるような仕組みを考えてゆきたい。
- (山口)翻訳は、一番の読みだと思っている。だから、発表媒体がないことに驚いた。
- (工藤)大学卒業して研究者になる道もあったが、お金がなかったし、ロシア文学をつづけて社会に返せるものがあるのか?と自信がなくなった。それならお金を稼いで社会に寄与してみようという経緯。zineづくりや、山口さんとの出会いをつうじ、文学を通して役立つための方法っていろいろある、学校の中で考えていた以上に、どんなやり方だってあるなという実感が一番大きい。文学を通じて社会とつながる、文学を社会の中で生き延びさせていくことをめぐって、今後もチャレンジをつづけていきたい。
- (藤田)本屋さんで店番をやっていて、イベントスペースの活用をしていこうと考えています。仕事を辞めて、本屋さんの運営に注力していこう、拠点をつくろうという感じで考えている。
- (山口)文学賞をつくりたい。「生きづらさを超えて生きる」実践に対してなにか表彰できるもの。文学のそれぞれのジャンルについてはいろいろ賞はあるが、ある事についてピンポイントで書かれたことに対して、与えられる賞がないという印象。LGBT文学賞をつくる話があったが、もっと広いジャンル(“生きづらさを超える”)でつくれないかな?と考えています。千葉詩亭、国立のポエトリーリーディングなど、今やっている取り組みをもっと頑張って、自分の声で語る人をもっと増やしていきたいと思う。他のzineの人も招いて、zineをつくるって楽しいということを伝えていきたい。
◎観客の方の感想から
- 生きづらさの中で倒れない道標を見い出すことに共感しました。
- 学問的教養+思想+心意気+行動力が源なのだなと感じました。子育てに役立たせていただきます。
- 言葉をつむぐこと、翻訳をすることといった生きていくことに関わるような大きな話題から、zineで出版するうえでの問題といった具体的な話題まで取り上げてくださり、とても参考になりました。
- 小さなものが存在していると関わり方を考[え]ざるをえないし、小さなものが好きなので、存在していて欲しいです。
忘日舎さん(@vojitsusha)で行われたトークイベントに参加してきました!— ไก่ย่าน (@yakitori_70) 23 марта 2019 г.
『ゆめみるけんり』は各号テーマに基づいた創作と海外文学の翻訳、『て、わたし』は海外・日本の現代詩人の翻訳を掲載しています。どちらも社会の中で生きる窮屈さを和らげるような、そんな雑誌です。ぜひぜひ読んでみてね!!
本日の忘日舎さんのイベント、出掛ける直前までグズグズ緊張してたけど行って良かった。詩や翻訳を通して文学を社会に残し続けるために何ができるかと闘っている志高い御三方の話が聴けて良かった。— 絹山絹子 (@quinutax) 23 марта 2019 г.
日頃署名本に興味なしと言ってる自分がミーハーにもサイン頂きました。嬉しい😄
詩と翻訳にまつわるふたつのZINEのトークイベント「ゆめをてわたす」と、夢眠ねむファンアート展「you may me name. #YMMN 」のふたつをはしごしました— 遥野知波 / 本とうたた寝。 (@chinami_ni_) 23 марта 2019 г.
夢みるような1日
アイドルって 自らのゆめをみることで だれかにゆめをてわたすお仕事だよなあ なんて思ったりした pic.twitter.com/76VDkvQDBD
今日は、zine(詩の雑誌)の『ゆめみるけんり』と『て、わたし』の作者・翻訳者の皆様が登壇するトークイベント「ゆめをてわたす vol.1」に行きました。— 街河ヒカリ(note連載中) (@machikawahikari) 23 марта 2019 г.
「詩の翻訳をすると、自分では使えない言葉を使える」との発言と、
比喩的な意味として「地下出版をやっている」との発言が印象的。
(次に続く) pic.twitter.com/9uc3pU2z8m
忘日舎さんにて、『ゆめみるけんり』、『て、わたし』のトークイベント「ゆめをてわたす」に参加しました。生活の中で文学を実践し、社会に投げかけつづける姿勢に勇気をもらいました。ゆっくりでもいいから、歩み続けていこう。 pic.twitter.com/RuUJm5t5u5— 佐々木美佳 Mika Sasaki (@mikachan43) 24 марта 2019 г.
やっとブログ更新できたので、寝ます💦— ほんのよこみち📝 (@honno_yokomichi) 25 марта 2019 г.
先週末、西荻窪の忘日舎さんで開催されたトークイベント【ゆめをてわたす】に参加しました。 - ほんのよこみち なブログ https://t.co/zKS0GhcytD
参加してくださった皆さま、ありがとうございました!またどこかでお会いできることを心待ちにしています。