2017年9月14日木曜日

コンテンツ(vol.2)

『ゆめみるけんり』vol.2が、とうとう出版できました!
特集は「わたしと、はたらくこと」。毎日わたしが煩わされている、この「はたらく」の正体はいったいなんなのか? こんな問いかけに、9の応答がなされました。


『ゆめみるけんり』 vol.2
◆特集:わたしと、はたらくこと
・Copal Ildeaux「stay disconnected: 淀屋橋 7:30 am」
・藍屋奈々子「はじまるまえ」
・O・マンデリシュターム/葛西裕人「黒土」
・野中沙織「朝」
・E・ヘミングウェイ/堀池沙織「異国にて」
・砂漠で生きる「日曜日のコント」
・P・フロレンスキー/工藤杳「1937年、ソロフキ。最後の手紙」
・W・ホイットマン/倉畑雄太「奇跡」
・E・トマス/八木ひろ子「ザ・ミルウォーター」

*Kindle版のみ、S・エセーニン「ソヴィエトのルーシ」収録。

◆特集2:アメリカの歌は、だれの歌?
・L・ヒューズ/Copal Ildeaux「詩二篇」
・西岡かれん「『たかが映画じゃないか』とヒッチコックは言った ——アメリカに留学して人種の問題について考えたこと——」

◆連載
・F・ペソア/藤田瑞都「船乗り――一幕の静劇(完)」
・N・フョードロフ/工藤杳「著作者の義務と、博物館=図書館の権利(1)」

Oil paintings by Copal Ildeaux
DTP by 倉畑雄太+工藤杳
Photos by 藤田瑞都(と西岡かれん)
Cover design by つぐみ


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Finally vol.2 of “yumemirukenri” is out now!
The issue is: "I, working." What can be said about the "work" in which we are forced to engage everyday? — 9 authors have responded to the question.

yumemirukenri vol.2
◆Issue pt.1: I, working
- Copal Ildeaux “stay disconnected: 7:30 am at Yodoyabashi”
- Nanako Aiya “Far from Our Beginnings”
- Osip Mandelstam / Yuto Kasai “Чернозем (Chernozem)”
- Saori Nonaka “Good Morning”
- Ernest Hemingway / Saori Horiike “In Another Country”
- sabaku de ikiru “Conte du Dimanche”
- Pavel Florensky / Yoh Kudo “Solovki, 1937. The last letters.”
- Walt Whitman / Yuta Kurahata “Miracles”
- Edward Thomas / Hiroko Yagi “The Mill-Water”

- (Kindle only) Sergey Esenin / Yoh Kudo “Soviet Rus'”

◆Issue pt.2: “I hear America singing...”
- Langston Hughes / Copal Ildeaux “Two Poems”
- Karen Nishioka “‘It’s Only a Movie’: a Short Essay on My Stay in Princeton”

◆Serials
- Fernando Pessoa / Misato Fujita “O Marinheiro -2-”
- Nikolay Fyodorov “Author’s Responsibility and the Right of Library as a Museum -1-”

Oil paintings by Copal Ildeaux
DTP by Yuta Kurahata + Yoh Kudo
Photos by Misato Fujita (+Karen Nishioka)
Cover design by Tsugumi


ウズベキスタンでもひとははたらいていた(9/7、サマルカンド)

*跋(あとがき)より……
  (……)「はたらく」の特徴は、いずれ自分に何らかのかたちで結果が帰ってくるにせよ、必ず一度はその行為が外に向かうということにある。それならそれで良さそうなものだ。我々が何かを提供し、その何かの受け手が我々に対価を与える。これはふつうwin-winの関係とよばれる。それならば、我々はなぜ「はたらく」ことで、こんなにもしんどい、苦しい、耐えがたい思いをしなければならないのか?
 3つほど思い浮かぶことがある。
 一つには、win-winという発想、つまり義務化された平等の苦しさがある。我々には相手を得(とく)させる義務があり、相手には我々を得(とく)させる義務がある。こうした意味での平等は、常に功利主義的な匂いをまとっており、それは結局のところ、正常な人間関係とはいえない関係なのだと思う。人間関係とは、迷惑の掛けあいなのだ、とあえて言いたい。我々は得だから愛するのではない。
 二つめとして、この関係がwin-winであってloose-looseであってはいけないということの意味を考える。「はたらく」の関係は、お互いに絶対にプラス・利益をもたらすものでなくてはならない。マイナスになるもの、あるいはニュートラルなものは認められない。怠惰や余暇、睡眠、怪我、役立たず、無用などは許容されない。「はたらく」関係において、それらは徹底的に排除されるか、あるいは下賜される特権として与えられる。
 三つめには、純粋な労働はあり得ないということだ。我々が「はたらく」ときに、必ず付加的に奪われるものがある。例えば時間や体力、人間としての個性、アイデンティティなどが挙げられるだろう。際限なく仕事に身をまかせることは、個たる人間としての生活が奪われることだ。
 そしてこの「はたらく」には、終わりがないように思ってしまう。我々はいつまで「はたらく」をやめない/やめられないのか。「はたらく」の論理は、休日にもついてまわるだろう。「せっかくの」休日。用事がないことは、もったいないことなのだ。人に会わなければ。イベントに行かなければ。買い物をしなければ。「したい」とはどこか違う、この義務感、空白への恐怖は、まぎれもなく「はたらく」がもたらすものだと思う。これはいつまで続くのか?
 いまこの時代にあって、「はたらく」は多様化している(と、少なくともメディアは言う)。であるならば、ポケットに詩集を入れておくように、わたしはいっそ「はたらかない」を選択肢に入れておきたい。結局、はたらきたくないのだ。資本主義は言うだろう。「成長するためには、はたらかなければならない」。誰のための成長なのか。「世界のため、社会のため、身の回りのひとのため、ひいては、お前自身のためだ」。ありがとう。けれども、余計なお世話だ。休ませてほしい。立ち止まらせてほしい。すれ違う多くの顔が、そう言っている。一度立ち止まって、わたし自身のことを、身の回りの人たちのことを、社会のことを、世界のことを、考えはじめるために、私たちはこうして一冊の本を出してみることにした。 (工藤杳)

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