私たち企画チームにとっても未知の体験だったのですが、参加してくださった皆さまには楽しんでいただけましたでしょうか。
当日のレポートを、寺田凜さんが〈SHIP〉プログラムのページ上にアップしてくださっています。Twitterでも、伏見瞬さんが当日リアルタイムでつぶやいてくださっていたものを中心にまとめてあります。よろしければぜひぜひ、ご覧ください。→【イベントレポート】
ここではわたしたち企画チームの側の視点から、イベントの企画と運営を通じて考えていたことを振り返りたいと思います。かなり長文です。よろしければお付き合いください。
文中【 】内は思考の参照点です。ご参考になさってください。 (文責:工藤)
当日完成した〈詩〉たち |
#問いかけ
文学は、役に立たないものなのでしょうか。社会的な状況が厳しくなってゆくなかで、文学徒も安穏とはしていられません。この問いに「いや、文学はまだやれる」と自信を持って答えるために、機会があれば同種のイベントを企画してきました。→【「多文化の海をおよぐ」@東京国際文芸フェスティバル2016】
#執着①
企画を始めるときに、〈よむ〉ことにフィーチャーしてこのイベントを行おうと思いました。そこには、わたしなりの〈よむ〉ことへの執着があります。パブリックな「文学イベント」を企画するとき、だいたいの場合、ゲストとして作家や訳者、専門家、批評家、教授などのある種特権的な存在が招かれます。そういったイベントがとても面白いのは事実です。わたしもよく参加します。ところで、わたしはそうしたイベントで客席の側に座っている人たちのほうに焦点が当たることが少ないな、と感じるのです。実は、読書という行為、文学という営みは、作者だけでは存立し得ず、〈読む人〉=読者の存在が必要不可欠です。読者が主人公になる=横のつながりを生み出すイベントを試みてみたかった。これが今回のイベントの動機となる執着のその①です。→【バルト「作者の死」、読者反応理論(イーザー等)】
#執着②
もうひとつの執着は、〈詩〉という表現形式へのこだわりです。わたしは大学でロシア語・文学を勉強してきましたが、数ある表現形式のなかで最も関心を抱いてきたのが〈詩〉という表現領域です。詩とは一体なんなのでしょうか。詩が好きだというよりは、詩にはどこか引っかかるものを感じていて、そこが魅力だと思うのです。このどこか気になる〈詩〉という表現形式について、いろいろな人と考えてみたかった。これが執着の②です。そのために、どういう反応を得ようとも、一度わたしにとっての〈詩〉を提示してみようと考えました。そして関連して考えていたのは、〈詩〉はわたしたちの生活とどのような関係を切り結べるのか?というところを試してみたいということでした。〈詩〉はあまりに純粋なテクスト表現なので、ともすると日常から乖離してしまいがちです(そこが魅力でもあるのですが)。そういう性格を持つテクストを生活のなかにどうやって持ち込めるでしょうか。→【私たちのサークルっぽい活動「ゆめみるけんり」マニフェスト、映画『パターソン』(予告篇)、当日の「オブリーク・ストラテジーズ」】
#トークセッションについて①
当日のプログラムを考えるにあたって、まず〈読む人〉どうしが新しく出会い、そしてお互いのことを多少でも深く知ることができる場をつくろうと思いました。そこで、“みなと”から連想するテクストを一点持参してもらうということにし、それについて話しながら、そのテクストを選んだ理由などの話などをすることで、お互いに考えていることを、普段よりもちょっと踏み入って聞けるようになると考えました。#トークセッションについて②(振り返り)
実際に当日やってみると、思いの外、〈読む人〉というのは〈語る人〉なのだということがわかりました。3点もテクストを紹介される方がいたり、話が弾むあまり全員に順番が回らなかったり……というグループもあったようでした。実は、前回(「多文化の海をおよぐ」)の経験から、このことはある程度予想ができていたのですが、参加者のみなさんの適正な拘束時間ということを考え、いったんあの程度の枠組みで行うことになりました(当日は、夜に別のイベントも控えていたので)。次回開催する際には、ここが改善できるポイントかもしれません。アンケートで「もっと長くてもよかった」と回答される方が多かったのも、励みになりました。付け加えるなら、どこかでせっかく参加された方全員が顔を知れるような機会があっても良かった。#多言語朗読セッションについて
多言語朗読は、あえて俳優の方ではなく、素人の方にお願いしました。〈読む人〉が語り出す姿を提示したかったからです。寺田さんが感想でおっしゃってくれた「朗読はもちろんだが、その前の3人がそれぞれ、「なぜそのテクストを選んだか」を丁寧に語ってくれる時間が参加者を引きつけていたように感じた。自身の生い立ちやそのテクストと出会うまでの物語は、「このひとしか持っていない」濃度を感じられる」(寺田凜さん)という言葉がすべてを言い尽くしています。ありがとうございます。#〈詩をつくる〉ワークショップ①
「詩をつくる」という営みには、困難が予想されました。わたし自身詩人でもなく、詩を作ったことさえありません。一般の参加者の皆さんが「さあ書け」と言われてもなかなか書けないだろうな……ということは容易に想像できました。このワークショップの内容について、ながく企画チームの試行錯誤が長く続きました。検討の途中で「文学イベントって可能なのだろうか。」という言葉が出たりしました。とても難しかった。最終的に私たちは、いくつかのツールを準備することにしました。
・街歩き詩を書くためには、材料が必要です。そこで、参加者の皆さんには「若葉町」というテクストを読むという経験をしていただくことにしました。案内役(同行人?)になるのは、一週間若葉町で滞在制作をされていた俳優の皆さん。当日は天気にも恵まれ、良かったです。 →【若葉町フラヌール】
・〈街をよむ〉ワークシート人間のもつ五感などから、街に対する目の付けどころの例を挙げました。色、音、匂いや疑問など。 →【人間の五感】
・〈詩をつくる〉ためのオブリーク・ストラテジーズさらに詩を作るタイミングで、テクストを助産できるように、トランプ形式のカードを用意しました。抽象的な動詞(比喩-る、非現実-るなど)を与え、その後ろにその動詞の曖昧な説明が書いてあります。思考をテクストに落とし込む際のやり方に行き詰まったときに、参考になるように私たちが自作しました。自作したので、どこにも売っていませんよ! →【B・イーノのオブリーク・ストラテジーズ、クノー『文体練習』、荒井良二『こどもる』】
#〈詩をつくる〉ワークショップ②
もう一つ、詩をつくるワークショップということを考えはじめた時に、いくつかの論文を参考にしましたが、その多くは「詩人」という存在ありきのワークショップ(オーサーヴィジット等)であることに気づきました。確かにワークショップとしてはそのほうが成り立ちやすいというのはわかります。その中でみつけた以下の論文は大変興味深かったです。→【中井悠加「ワークショップ型詩創作指導による学びの形成」】
副題にあるArvonファンデーションとは、クリエイティヴ・ライティングのワークショップを開いているイギリスの団体です。詩に限らず色々なコースがありますが、ワークショップは5日間宿泊講座の形をとり、年間100回ほども開かれているそうです。この論文のなかでは「素晴らしい詩を書けるようになるための〈詩人の共同体〉ではなく詩を書くことそのものをめざす〈詩を書く共同体〉」(76)ということが言われていて、ここにわたしは深く共感しました。
#〈詩をつくる〉ワークショップ③(振り返り)
当日、思ってたより人には詩を紡ぎ出す能力があるのだな……というところに強い印象を受けました。ワークショップ中に雑談したところ、詩をつくったことのある方は一人もいらっしゃいませんでした。が、時間にも制限あるなか、難なく詩らしきものを作り出していく姿に、わたしはどこか感動さえ覚えてしまったのです。Facebook等の投稿の「*文学と〈あそぶ〉」というところにも書いたのですが、次々と、「野良の文学」とでも言えるような、軽やかな、「文学全集」に収まらないことばたちが、独自の感性によって街から引用され、それぞれの参加者の手から表現されてゆきました。〈読む人〉たちの潜在力を実感した瞬間でした。#〈詩をつくる〉ワークショップ④
そして、各々一つずつの詩ができあがりました【最上部写真】。スタジオから劇場に移動して、これを俳優さんたちが朗読します。ワークショップの検討段階では、ここで参加者一人一人が自分の詩を自分で発表するという案もありましたが、結果として当日のように俳優さんに代読してもらうという形式は大成功だったと思います。いただいた感想があります。「それぞれの詩がどういう文脈・背景、感性なのかはっきりしないまま俳優が詩の朗読をするからでしょうか、それぞれの俳優の試行錯誤がはっきり垣間見られたような気がしています。普段は観客として舞台を観に行く身なのですが、舞台上では絶対に見ることのない、文字からことばにしてゆくプロセスが浮かび上がったように見えて新鮮でした。」(匿名)わたしにとっては、自分が作り出した生身のテクストを俳優が読むことによってテクストがある種確定されていくことについて気恥ずかしいながらも一種嬉しさを感じるような時間でしたし、また一面では俳優という存在の凄さ(野良のテクストがあたかもあの「文学」のように読まれていく)を感じることもできた時間でした。
#総括
総括としては、以下のことをわたしは言いたいと思います。・特権的な存在がいない、〈読む人〉の〈読む人〉による文学イベントは成立し得る。
・〈読む人〉は、適切な導入があれば語り出すことができる。単なる消費者としての〈読者〉から、〈語りだす読者〉へ。
・詩について確固とした定義が存在しなくても、ひとは「詩」(だと個々人が考えるもの)を語りだすことができる。
・日常生活をおくる〈街〉という空間から、ことばを拾い、文学のことばへと接続することができる。街=日常生活は文学である、または文学の生みの親である。
・演劇(俳優)は、文学の最良の友人である。
以上で、総括としたいと思います。
参加者のみなさまには、当日つくられた詩を電子書籍の形にして、後日お送りしたいと思います(気長にお待ちください)。
通読していただき、ありがとうございました!
最後に、企画メンバーの紹介です。
・伏見瞬(ふしみしゅん)さん:Twitter→@shunnnn002。現在、批評再生塾三期に参加されています。「劇の批評」。
・長與茅(ながよかや)さん:茅(カヤ)はハワイ語で海に関係する名詞らしい(kaiが「海」とのこと)。早稲田大学でロシア文学の研究中。
・Copal Ildeaux(こぱるいるどー)さん:会社勤めの傍ら、絵画制作をされています(Instagram)。「ゆめみるけんり」で、翻訳やイラスト・絵画制作などされています。
・工藤なお:1992年生まれ、新潟県出身。模索者。翻訳詩のzine製作・場づくりのためのよくわからない何か「ゆめみるけんり」をいちおう主宰。特に何もしていない。生まれるところを間違えたという痛切な反省からロシア人に転向、大学では現代ロシア詩・批評理論を学ぶ。http://pokayanie.blogspot.jp(〈SHIP〉プログラムの自己紹介より転載)
朗読者は、長與さんに加え、以下の2名の方でした。
・Yahor Kazlouさん:イゴールさん。ベラルーシとバングラデシュのハーフだそうです。ロシア語でトルストイ『セヴァストーポリ物語』を朗読してくれました。
・藤田瑞都(ふじたみさと)さん:吉田加南子の詩・エッセイ・翻訳等を「みなと」というテーマに合わせて再構成して朗読してくれました。朗読は初めて。
それでは、またどこかでお会いしましょう!
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