2018年2月26日月曜日

【イベントレポート】Language Beyond(第2回)

杉並区善福寺のスペース「あなたの公-差-転」でブッククラブ「Language Beyond」を隔月開催しています。

第二回は2月4日に開催し、以下の2冊(3篇)をめぐっておしゃべりしました。

・プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』
・コルタサル「悪魔の涎」「南部高速道路」

レポートはこちらです。
http://kosaten.org/ja/lbreport2/


◆第三回は、4月22日(日)に行う予定です。
16:30スタート、参加費は無料です。
今回読む本は:
+宇野千代『おはん』(新潮文庫・中公文庫)
+石牟礼道子『あやとりの記』(福音館文庫)
以上2冊です。

このブッククラブでは一つだけの「正しい読み方」を探るのではなく、「参加者のみなさん一人ひとりがどう読んだのか」ということを大切にしています。
詳しくはこちらから↓
http://kosaten.org/ja/event/language-beyond3/
https://www.facebook.com/events/700803603642422/

*あなたの公-差-転:http://kosaten.org/

新しく参加してくださる方をお待ちしています。


2018年2月12日月曜日

【終了】Book Loversに出展します

【終了しました】

東京・初台のMOTOYA Book Café Galleryで開かれる、“本好きの人が、本好きの人のために作るブックイベント”「Book Lovers」に、ゆめみるけんりが出展します。
「ゆめみるけんり vol.2」を展示し、vol.1とvol.2を販売します(少部数の予定)。




Book Lovers

2018年3月7日(水)~4月1日(日) ※月曜・火曜 お休み
13:00~20:00 ※入場は閉館の30分前まで

※3/17(土)、3/18(日)は17時から
※最終日は17時まで
※ドリンクのオーダーをお願いします。

詳細→http://www.mo-to-ya.com/gallery/exhibition/1803.html


アクセス→http://www.mo-to-ya.com/access/
初台駅(京王新線)から徒歩8分
代々木八幡駅(小田急線)・代々木公園駅(千代田線)から徒歩10分

「ゆめみるけんり」vol.2

表紙デザイン:つぐみ
Cover designed by Tsugumi

「ゆめみるけんり」vol.2(2018年1月発売)
特集「わたしと、はたらくこと」

コンテンツ:今号の目次。
メンバーズ:今号に参加した人たち。

・電子書籍版:Kindle Storeにて販売中です。300円。電子書籍版限定コンテンツもあります。
・紙版:2018年1月刊行。1000円。いくつかの書店で扱っていただいています。
取り扱い書店さんにつきましては【入手方法】のページをご覧ください。

Our zine "yumemirukenri 02" is now on sale. The issue is: I, Working.
E-book can be purchased on Amazon's Kindle Store for approx. $3.00.
Also, printed ver. is available. See the page "How to purchase?" .


〈vol.2によせて〉

「だって会社はどうするの?」――ランボー(堀口大學訳)
“Et mon bureau?” ― A. Rimbaud

 「わたしと、はたらくこと」と題する特集をお送りします。「はたらくこと」はわたしたちが過ごす一日の大半を占めています。「はたらくこと」は、なにも会社に行って仕事をすることだけを指すのではない。鷲田清一『だれのための仕事』を読んで眼を開かされた思いをしたのは、いわゆる「家事」も仕事には違いない(しかもかなりきつい仕事である)という視点があったからです。zineづくりという“仕事”も、はたらくことには違いないし、目的をもって歩くことさえ、はたらくことと言えなくもありません。こんなわけで、「はたらくこと」に対する考え方、定義、その範囲は、それぞれの人によって大きく異なることでしょう。

 一方で、「はたらくこと」から漏れていくもの、逃げていくものとしては、「あそび」「暇」という言葉が指し示すものがあるでしょう。あるいは、「眠り」などと、ひとは言うかもしれません。それぞれの「はたらく」が明らかになっていくことは、それぞれの「あそび」や「暇」が浮き彫りになることです。「はたらく」がこんなにも多様である以上、「あそび」も今ここで定義づけることは不可能です。今号の特集から、「はたらくこと」、そしてその裏側としての「あそび」に対する考え方の多様さを感じてほしいと思います。

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Let us present you a brand new issue of yumemirukenri, which is entitled “I, working.” “Work” holds the largest part of our everyday life. When we talk about working, it is not just about your job at office. I’ve read Kiyokazu Washida’s essay “Work For Whom?” with fresh surprise, because in his work Washida points out that so-called housekeeping also is, nothing but a kind of work (or even a harder one). “Making zine” also must be considered as a work. Even “walking” (towards somewhere) may be considered, to some extent, as working. It can be said that every one of us holds different ideas or definitions of “work,” and the scope of the word differs from one person to another.

On the other hand, there is something that leaks out, escapes from the word “work” — something that can be described with words “play” or “leisure.” Or some may say “sleep” instead. When one’s definition of “work” has been made clear, at the very same time, his/her idea about “play” or “leisure” gets unveiled. Since “work” is such a diverse concept to define, same can be said to “play.” We wish you can feel the diversity of ideas on “work” and “play” through this booklet.

(工藤/NK)

2018年2月11日日曜日

zineってなんだ

ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社)を読んで、「これはzineだ」と思いました。

「ゆめみるけんり」を出すにあたって同人誌と言うのがなんだかダサいので、格好つけてzineと呼んでみたのですが、それでは「zineってなに?」と聞かれると、自分がなに一つわかっていないということが明らかになってしまいます。zineってなんでしょう。

自分で「ゆめみるけんり」というzineをスタートさせる前後に、数冊のzineとの出会いがありました。その中でも愛おしく感じているものが、中里仁美さんの発行するzine『善き門外漢』です。「パーソナルかつエモーショナル」を掲げるこの小さな本は、コンテンツも読ませるもの揃いで、いろいろな人に読んでもらいたいなあと思うのですが、中里さんの考え方に共感できるところが多かったので、その辺についてすこし書きたいと思います。

「パーソナルかつエモーショナル」ということ。

英語で「Have your say.(ご意見募集)」という言い方がありますが、出版社を通じて本を出すことには、「I have my say.」というニュアンスを感じます。日本語では「世に問う」とよく言いますが、そんな感じも込みで。「言いたいこと」が確固としてあり、それを著者である「おれ」の責任のもとで世に出すという感じがします。

そうして広く世に問われた本には並ならぬ覚悟があり、ゆえに読み応えのあるものになります。そういう出版物に価値を感じることは当然のことですが、ただ、それだけじゃないだろうとは思います。

「言いたいこと」になりきらない「感じ」とか、「空気」とか、「変」とか、「愛」とか。それは、わたしの考えでは、ひじょうに個人的なものだし、感覚的なものです。社会生活のなかでは、そうした個人的な感覚の行き場所はなかなかありません。zineは、そうした「個人的かつ感覚(感情)的」=「パーソナルかつエモーショナル」なものの受け皿としてあるのではなかったでしょうか。

「でも、SNSやwebメディアがzineの役割を果たし得るんじゃないですか?」わたしはそうは思いません。というのは、自分でつくってみて感じたことですが、zineを印刷し、出版することには、SNSにはない重みと時差があるからです。SNSでは思いついたことをすぐに全世界にむけて発表することができます(その自覚があるかないかはわかりません)。しかしzineをつくるには、企画し、原稿を集め、判型を決め、デザインを決め、お金をかけて印刷をし、書店に持って行き……というさまざまな大変さがついてきます。出版社から出版するほどの覚悟はいりませんが、自分の出版するものに何万かのお金を費やすとき、また書店に持ち込みをするときに、「おまえはそれをするだけの覚悟があるのか?」「それに見合うだけの中身があるのか?」という声を内側で聞きます。また、こうしたプロセスを経ることで、zineの出版にはかならず時差が生じます。すこしずつ遅れて届くということです。これは、即(時)レス(ポンス)を求められることの多くなったいま、zineをつくることで気づくことができた、大切にしたい時間の流れ方です。

『善き門外漢』がすごいのは、たった一人のひとの「パーソナルかつエモーショナル」なものを表現する、それだけでもう(現在のところ)3冊も本を出してしまえるのだ、という事実ではないでしょうか。もちろん中里さんという個人のおもしろさ、ふかさも大きく関係しているのですが、ここには大きな勇気をもらいます。ほんとうは人はこんなに言いたいこと(でもふだんは「感じ」に留まっているようなこと)がたくさんあり、もしかしたら誰だって本の一冊や二冊出せるくらいのなにか、「感じ」を抱えているのかもしれません。

ウルフは頭のいい女性ですから、『自分ひとりの部屋』を書いても(悪い意味で言われる)「感情的」にはなりませんでしたが、それでもやはりこの本はとても個人的な感覚から成り立っているようにおもいます。そして(すぐれた訳文も手伝って)そうした感覚の表出(それは「論」とか「言明」未満です)は、とても心地よく、それでいて強く、こころに染み込むように馴染むもので、「なんて魅力的な文章なんだろう」と、読んでいる最中に何度も感嘆してしまいました。これもやはり、1929年当時のzineなのだとわたしは感じました。

それから昨日コ本やさんでおしゃべりをしながら気づいたのですが、zineを出すということは、たぶんそのzineを買ってくれる人もいるということです。一般に出版社から出されている本であれば、手にとって購入し読む契機・要因ってとてもたくさんあると思います。新聞広告を読んだ、人から聞いた、twitterでみた、著者の名前を知っていた、、、。一方でzineとの出会いは、おそらく書店店頭で起こるのがほとんどではないでしょうか。zineを手に取り購入する行為は、ほとんど読者個人の興味と関心にのみ裏打ちされています。一冊のzineを介して、宣伝に踊らされる以前の生身の人間と人間がコミュニケートすることになる。そうわたしは思いました。デリダを引き合いに出すまでもなく、ひとが「語る」ためには、絶対に「2人以上必要」なのです。

そんなわけでzineというメディアには、なかなか真顔で真剣に語り合えないわたしたちが、個人的で感覚的なものを通してコミュニケートする一つの「場」であるとも言えるかもしれません。

大学を卒業して以来、「ここではない場所」「仕事と家のあいだの場所」ということを個人的に考え続けているのですが、zineがひとつの回答になるかもしれない、実際にどこかの住所に場所をもつということにこだわらなくてもいいのかもしれない、と考えました。

そういう話でした。

*ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』:http://www.heibonsha.co.jp/book/b201163.html
*『善き門外漢』:http://yokimongaikan.com
*ジャック・デリダ『名を救う』:http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624932534

(工藤杳)

2018年2月10日土曜日

値段をつけるということ

値段をつけるということについて、工藤がツイートしたことから再構成してみます。

価格を設定するという仕事は勉強になります。

「ゆめみるけんり」は、最初300円〜のカンパ制(文フリなど)、その後500円(書店さん扱い時)になり、第二版では800円の値段をつけました。節操がない、一貫性がないと言われればそうなのですが、今の価格で原価ギリギリくらいで、そのまえは売れるたびに赤字でした。今買うひとと昔買ってくれた人とのあいだに差ができてしまうことについては申し訳なくおもいます。

それぞれの時点で、それなりに考えていたことがあります。カンパ制にしてた頃ははじめてでしたし、自信が全くなかったのでいくらくらいなら買ってくれるのかという実験も兼ねてカンパ制という形にしました。意外と買ってくれる人がいたこと、それから書店さんに適正な価格をつけるようアドバイスをもらったことなどを受けて、当時の我々としては思い切って500円で書店で扱ってもらいました。

今回800円という価格を設定したのは、普通に原価分はかかっているわけだからそのくらいは請求する正当な“けんり”があると、ごく当たり前のことを考えたからです。(それでもプラマイほぼゼロです。だって利益出るとめんどくさいので。)

(それで、今のところメンバーから3千円ずつ集めて出版費用としています。これ以上負担額は上げたくないとは思っていますが、まあ飲み会一回分と考えれば……となんとか納得してもらえるとはおもいますが。)

書店さんにも励ましてもらい、またvol.1の売り上げもそこそこあって自信も出てきたというのもひじょうに大きいです。扱ってくださる書店さんや、買ってくれるみなさま、本当にありがとうございます。

値段をつけることを通して、いままで実感が持てなかった「資本主義」というものとじかに触れ合っているような感覚があります。

(工藤杳)

2018年2月9日金曜日

今回、文フリには出店しません

5月の文学フリマには「ゆめみるけんり」としては出店しないことにしようと思っています。

すでに一回出店できて結構満足しているのが理由の一つですが、もう一つ理由があって、それは文フリという会場が大きすぎると感じたことです。

詩という表現形式はとても声がちいさいものだと思います。翻訳詩を中心にした「ゆめみるけんり」もまた、例外ではありません。

私たちのzineと読者/潜在的読者の理想的な出会い方を考えると、もうすこし小さな、例えば書店さんとか、リトルプレスのフェアなんかがいいのかなと現時点では考えています。そういった場所では、zineを介してわたしたちゆめみるけんりと読者とのあいだに個人的で親密な関係が結べるかもしれないと思ったからです。
できれば事前情報なく出会って「しまって」、買って「しまって」ほしい……というのは欲張りすぎでしょうか。

またもう一つ理由を挙げるとすると、文フリで販売すると利益がゆめみるけんりの内部にしか還元されないことがあります。それよりは、書店さんなどいろいろなところを巻き込んで販売という実験をできないかなと思っています。未熟者の私たちにとって、販売は実験なのです。せっかく出版文化に一口噛むのならば、多少なりともわたしたちの外にも利益を生み出せればそれ以上のことはないのではないでしょうか。

こんなことを考えています。
他の場所への出展情報などは、追って告知します。

(工藤杳)