2018年2月11日日曜日

zineってなんだ

ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社)を読んで、「これはzineだ」と思いました。

「ゆめみるけんり」を出すにあたって同人誌と言うのがなんだかダサいので、格好つけてzineと呼んでみたのですが、それでは「zineってなに?」と聞かれると、自分がなに一つわかっていないということが明らかになってしまいます。zineってなんでしょう。

自分で「ゆめみるけんり」というzineをスタートさせる前後に、数冊のzineとの出会いがありました。その中でも愛おしく感じているものが、中里仁美さんの発行するzine『善き門外漢』です。「パーソナルかつエモーショナル」を掲げるこの小さな本は、コンテンツも読ませるもの揃いで、いろいろな人に読んでもらいたいなあと思うのですが、中里さんの考え方に共感できるところが多かったので、その辺についてすこし書きたいと思います。

「パーソナルかつエモーショナル」ということ。

英語で「Have your say.(ご意見募集)」という言い方がありますが、出版社を通じて本を出すことには、「I have my say.」というニュアンスを感じます。日本語では「世に問う」とよく言いますが、そんな感じも込みで。「言いたいこと」が確固としてあり、それを著者である「おれ」の責任のもとで世に出すという感じがします。

そうして広く世に問われた本には並ならぬ覚悟があり、ゆえに読み応えのあるものになります。そういう出版物に価値を感じることは当然のことですが、ただ、それだけじゃないだろうとは思います。

「言いたいこと」になりきらない「感じ」とか、「空気」とか、「変」とか、「愛」とか。それは、わたしの考えでは、ひじょうに個人的なものだし、感覚的なものです。社会生活のなかでは、そうした個人的な感覚の行き場所はなかなかありません。zineは、そうした「個人的かつ感覚(感情)的」=「パーソナルかつエモーショナル」なものの受け皿としてあるのではなかったでしょうか。

「でも、SNSやwebメディアがzineの役割を果たし得るんじゃないですか?」わたしはそうは思いません。というのは、自分でつくってみて感じたことですが、zineを印刷し、出版することには、SNSにはない重みと時差があるからです。SNSでは思いついたことをすぐに全世界にむけて発表することができます(その自覚があるかないかはわかりません)。しかしzineをつくるには、企画し、原稿を集め、判型を決め、デザインを決め、お金をかけて印刷をし、書店に持って行き……というさまざまな大変さがついてきます。出版社から出版するほどの覚悟はいりませんが、自分の出版するものに何万かのお金を費やすとき、また書店に持ち込みをするときに、「おまえはそれをするだけの覚悟があるのか?」「それに見合うだけの中身があるのか?」という声を内側で聞きます。また、こうしたプロセスを経ることで、zineの出版にはかならず時差が生じます。すこしずつ遅れて届くということです。これは、即(時)レス(ポンス)を求められることの多くなったいま、zineをつくることで気づくことができた、大切にしたい時間の流れ方です。

『善き門外漢』がすごいのは、たった一人のひとの「パーソナルかつエモーショナル」なものを表現する、それだけでもう(現在のところ)3冊も本を出してしまえるのだ、という事実ではないでしょうか。もちろん中里さんという個人のおもしろさ、ふかさも大きく関係しているのですが、ここには大きな勇気をもらいます。ほんとうは人はこんなに言いたいこと(でもふだんは「感じ」に留まっているようなこと)がたくさんあり、もしかしたら誰だって本の一冊や二冊出せるくらいのなにか、「感じ」を抱えているのかもしれません。

ウルフは頭のいい女性ですから、『自分ひとりの部屋』を書いても(悪い意味で言われる)「感情的」にはなりませんでしたが、それでもやはりこの本はとても個人的な感覚から成り立っているようにおもいます。そして(すぐれた訳文も手伝って)そうした感覚の表出(それは「論」とか「言明」未満です)は、とても心地よく、それでいて強く、こころに染み込むように馴染むもので、「なんて魅力的な文章なんだろう」と、読んでいる最中に何度も感嘆してしまいました。これもやはり、1929年当時のzineなのだとわたしは感じました。

それから昨日コ本やさんでおしゃべりをしながら気づいたのですが、zineを出すということは、たぶんそのzineを買ってくれる人もいるということです。一般に出版社から出されている本であれば、手にとって購入し読む契機・要因ってとてもたくさんあると思います。新聞広告を読んだ、人から聞いた、twitterでみた、著者の名前を知っていた、、、。一方でzineとの出会いは、おそらく書店店頭で起こるのがほとんどではないでしょうか。zineを手に取り購入する行為は、ほとんど読者個人の興味と関心にのみ裏打ちされています。一冊のzineを介して、宣伝に踊らされる以前の生身の人間と人間がコミュニケートすることになる。そうわたしは思いました。デリダを引き合いに出すまでもなく、ひとが「語る」ためには、絶対に「2人以上必要」なのです。

そんなわけでzineというメディアには、なかなか真顔で真剣に語り合えないわたしたちが、個人的で感覚的なものを通してコミュニケートする一つの「場」であるとも言えるかもしれません。

大学を卒業して以来、「ここではない場所」「仕事と家のあいだの場所」ということを個人的に考え続けているのですが、zineがひとつの回答になるかもしれない、実際にどこかの住所に場所をもつということにこだわらなくてもいいのかもしれない、と考えました。

そういう話でした。

*ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』:http://www.heibonsha.co.jp/book/b201163.html
*『善き門外漢』:http://yokimongaikan.com
*ジャック・デリダ『名を救う』:http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624932534

(工藤杳)

2018年2月10日土曜日

値段をつけるということ

値段をつけるということについて、工藤がツイートしたことから再構成してみます。

価格を設定するという仕事は勉強になります。

「ゆめみるけんり」は、最初300円〜のカンパ制(文フリなど)、その後500円(書店さん扱い時)になり、第二版では800円の値段をつけました。節操がない、一貫性がないと言われればそうなのですが、今の価格で原価ギリギリくらいで、そのまえは売れるたびに赤字でした。今買うひとと昔買ってくれた人とのあいだに差ができてしまうことについては申し訳なくおもいます。

それぞれの時点で、それなりに考えていたことがあります。カンパ制にしてた頃ははじめてでしたし、自信が全くなかったのでいくらくらいなら買ってくれるのかという実験も兼ねてカンパ制という形にしました。意外と買ってくれる人がいたこと、それから書店さんに適正な価格をつけるようアドバイスをもらったことなどを受けて、当時の我々としては思い切って500円で書店で扱ってもらいました。

今回800円という価格を設定したのは、普通に原価分はかかっているわけだからそのくらいは請求する正当な“けんり”があると、ごく当たり前のことを考えたからです。(それでもプラマイほぼゼロです。だって利益出るとめんどくさいので。)

(それで、今のところメンバーから3千円ずつ集めて出版費用としています。これ以上負担額は上げたくないとは思っていますが、まあ飲み会一回分と考えれば……となんとか納得してもらえるとはおもいますが。)

書店さんにも励ましてもらい、またvol.1の売り上げもそこそこあって自信も出てきたというのもひじょうに大きいです。扱ってくださる書店さんや、買ってくれるみなさま、本当にありがとうございます。

値段をつけることを通して、いままで実感が持てなかった「資本主義」というものとじかに触れ合っているような感覚があります。

(工藤杳)

2018年2月9日金曜日

今回、文フリには出店しません

5月の文学フリマには「ゆめみるけんり」としては出店しないことにしようと思っています。

すでに一回出店できて結構満足しているのが理由の一つですが、もう一つ理由があって、それは文フリという会場が大きすぎると感じたことです。

詩という表現形式はとても声がちいさいものだと思います。翻訳詩を中心にした「ゆめみるけんり」もまた、例外ではありません。

私たちのzineと読者/潜在的読者の理想的な出会い方を考えると、もうすこし小さな、例えば書店さんとか、リトルプレスのフェアなんかがいいのかなと現時点では考えています。そういった場所では、zineを介してわたしたちゆめみるけんりと読者とのあいだに個人的で親密な関係が結べるかもしれないと思ったからです。
できれば事前情報なく出会って「しまって」、買って「しまって」ほしい……というのは欲張りすぎでしょうか。

またもう一つ理由を挙げるとすると、文フリで販売すると利益がゆめみるけんりの内部にしか還元されないことがあります。それよりは、書店さんなどいろいろなところを巻き込んで販売という実験をできないかなと思っています。未熟者の私たちにとって、販売は実験なのです。せっかく出版文化に一口噛むのならば、多少なりともわたしたちの外にも利益を生み出せればそれ以上のことはないのではないでしょうか。

こんなことを考えています。
他の場所への出展情報などは、追って告知します。

(工藤杳)

2017年12月12日火曜日

【イベントレポート】Language Beyond(第1回)

杉並区善福寺のスペース「あなたの公-差-転」と一緒におこなうブッククラブ「Language Beyond」をスタートしました。

第一回は12月9日におこない、以下の2冊の本をめぐっておしゃべりしました。

・井上靖『天平の甍』
・イェホシュア『エルサレムの秋』

レポートはこちら。
http://kosaten.org/ja/language-beyond1report/

新しく参加してくださる方をお待ちしております。



2017年12月10日日曜日

「みなとの世界文学」について私たちが考えていたこと

「みなとの世界文学」、ご来場ありがとうございました!
私たち企画チームにとっても未知の体験だったのですが、参加してくださった皆さまには楽しんでいただけましたでしょうか。

当日のレポートを、寺田凜さんが〈SHIP〉プログラムのページ上にアップしてくださっています。Twitterでも、伏見瞬さんが当日リアルタイムでつぶやいてくださっていたものを中心にまとめてあります。よろしければぜひぜひ、ご覧ください。→【イベントレポート

ここではわたしたち企画チームの側の視点から、イベントの企画と運営を通じて考えていたことを振り返りたいと思います。かなり長文です。よろしければお付き合いください。
文中【 】内は思考の参照点です。ご参考になさってください。 (文責:工藤)

当日完成した〈詩〉たち


2017年12月8日金曜日

【イベントレポート】みなとの世界文学

12月3日に文学イベント「みなとの世界文学」を、横浜・若葉町WHARFにて開催しました。
このイベントは、俳優たちが滞在制作・WS・作品発表・イベントをおこなう合宿型育成プログラム〈SHIP〉のなかで行われました。
*次なる舞台俳優のための育成プログラム〈SHIP〉について:FacebookTwitter

◆Twitterのモメント


◆イベントレポート①(寺田凜さん)

◆イベントレポート②(寺田凜さん)



2017年12月7日木曜日

メンバーズ(vol.2)

「ゆめみるけんり」vol.2、発売間近です。(以下は本誌に掲載されている内容です。)

今回寄稿してくれたみなさんに、自己紹介に代わり、次のお題で一文書いてもらいました。

「はたらく」ときにある、ちょっと楽しい瞬間について。あるいは「はたらく」ときに見える、風景について。
*印で記したのは、各々が考える「はたらく」ことについての本です。


◆藍屋菜々子(あいやななこ)
Twitter/Instagram:@i8nanak
Web:aiyananako.jimdo.com
雪が好きです。しんしんと雪が、風景をまっしろの非日常にしていくのを眺めていると、地球の重力が揺らぐような気がして、痛みも和らぐのがふしぎです。合わなかった飲食店バイトも、雪の日だけはへっちゃらでした。
 *西村佳哲『自分をいかして生きる』

◆葛西裕人(かさいゆうと)
本を紹介することで、自己紹介に代えます。
 *玄田有史『14歳からの仕事道』
 *柏木博『家事の政治学』
 *M. Frauenfelder『Made by Hand:ポンコツDIYで自分を取り戻す』

◆工藤順(くどうなお)
https://junkdough.wordpress.com
知人が亡くなったという報せを受けたのは月曜深夜でしたが、翌火曜日に仕事をしながら考えたことは、はたらくことは耐えがたい強制力でもあるが、そのルーティンでもってはり裂けるような心情に蓋をしてくれる、ということでした。それが善いことなのか悪いことなのか、私には判断がつきませんでした。
 *よしながふみ『きのう何食べた?』

◆倉畑雄太(くらはたゆうた)
これまで働くことについて深く考えたことがなく、なかなか本が思い浮かびませんでした。結局、原稿の提出が最後になってしまったようです。
ふと脳裏に浮かんだのは、文学に別れを告げアフリカへ渡ったランボーと、文学に別れを告げられず働く自分でした。
 *『ランボー全集』(青土社、2006)

◆Copal Ildeaux(こぱるいるどー)
Instagram:@copal.ildeaux
「社会のなかではたらく」って、それぞれの才能を持ち寄って、弱さをかばい合って共に生きていくことだと思います。だから、「はたらく」って、きわめて人間(じんかん/にんげん)的な行為だなと、肯定したいです。
 *石渡晃一『ぼくは、世界一楽しいサラリーマン』

◆砂漠で生きる(さばくでいきる)
Twitter:@mstkaqrg
はたらいているとき楽しいのは移動するときです。電車やバスの中で、次の打ち合わせの準備をしたり、スマートフォンをチェックしたりしてはいけません。遠くの山や雲を見るのです。間抜けな顔で見るのです。
 *夏目漱石『それから』

◆つぐみ
お揃いのピンクのバーキン。シャネルの香水。雑誌のワンピース……「普通に」幸福にOLをしていると、すべての労働は「恋愛」にそっくりだと悟る。愛も資本主義も手難しいからこそ、普通にはたらくって大変!
 *岡崎京子『pink』

◆西岡かれん(にしおかかれん)
文学研究者(のたまご)として、わたしの仕事はいつも、小説の向こうに広がる景色を見ようとする試みから始まります。それがテキサスの牧場であれ、ニューヨークの摩天楼であれ。
 *村上春樹『職業としての小説家』

◆野中沙織(のなかさおり)
あまりに切羽詰まりすぎて、みんながずっとニコニコ笑いながら仕事をしていたときは楽しかったです。
 *アンソニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』

◆藤田瑞都(ふじたみさと)
プログラムを流すときの、スナップの効いた感動的な指づかい。
まーちゃんだって、マイクをまわす。
ほんとはだれだって、いつだって、踊りたい。
 *栗原康『死してなお踊れ:一遍上人伝』
 *エリック・ホッファー『エリック・ホッファー自伝:構想された真実』
 *中里仁美『善き門外漢 vol.3 アウトサイダーの向上心』

◆堀池沙織(ほりいけさおり)
職場の窓から見える東京です。夜に静かに煌めくビル群と東京湾、スカイツリー。就職で上京した私にとっては孤独の景色であり、今までの仕事での大切な出会いを包含するあたたかな景色です。
 *David Foster Wallace “This is Water”

◆八木ひろ子(やぎひろこ)
通勤電車の窓からは東京の景色が見えます。いいことのあった日はキラキラして見えます。
 *大島弓子『毎日が夏休み』